鹿児島県民に薦められた「知覧」で色々と考えた

  • 2013.09.23

どーも、るいすです。
屋久島一人旅の最終日となります。

*1日目〜3日目はこちら
1日目「世界遺産200カ所より屋久島 -1日目-」
2日目「夏の旅行先、迷ったら屋久島に行って欲しい -2日目-」
3日目「ウミガメの穴で足をくじいても縄文杉 -3日目-」

 

最終日も例外無く5時起きです。
一人旅の時はいつも宿で夜更かし、ゆったり起床だったのでこれは新鮮。
茶畑広がる屋久島の朝焼けを見ながら、帰りの準備。

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同じ宿のルームメイト達と記念撮影。
他にも10人ぐらいいたのに、なぜか皆とは日程が違って
「縄文杉」も「もののけの森」も一人で登りました。

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帰りの便(鹿児島→東京)が夜だったので、
TwitterやFacebookで「鹿児島で5時間くらい時間あるんだけど、おすすめ教えて!」と聞いところ
何名もの鹿児島出身から「知覧おすすめ!行けばわかる!」とコメント。

そこまで言うなら!っと鹿児島中央駅から知覧行きのバスに乗って1時間。
着きました、知覧「特攻平和」会館。

知覧特攻平和会館は、大東亜戦争(戦後は太平洋戦争ともいう。)末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。

特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います。

この地が出撃基地であったことから、特攻戦死された隊員の慰霊に努め、当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、恒久の平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ、ここに知覧特攻平和会館を建設した次第であります。

引用:知覧特攻平和会館
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太平洋戦争時、知覧に特攻隊の基地が作られ、
僕よりも年下の多くの若者が命を散らした。

彼らが不幸だったかは分からないけれど、
遺書や遺筆に残された覚悟や底抜けの明るさが衝撃でした。

「国のために死んでこい」と言われて、
『でっかい奴を落としてきます!』と遺書に書くまでに
どんなことを思ったのだろう…と。

移動時間も含めて、鹿児島中央から3時間あれば十分なので
気になる方は行ってみてください。

 

最後に鹿児島ラーメンを食べて空港へ。
考えてみると、久しぶりの一人旅でした。

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次の旅記事は「ヒッチハイク西日本横断」をお届けする予定です。
世界一周よりビビって、やりたくなかった「ヒッチハイク」
5日間たっぷりかけて福岡を目指します…!!

 

スキルと仕事を組み合わせて「何者か」になるスラッシュワーカーズ

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