1社目1年、2社目を1年10ヶ月で退職したので、就活生にアドバイスします

  • 2019.04.25

自慢できることではないのですが、TABIPPOを起業するまでに2社を経験しています。1社目の大阪ガスはぴったり1年、2社目のオプト(Web系の広告代理店)は1年10ヶ月で退職しているので、2回の退職経験を踏まえて、就活生にアドバイスをすべくQ&A記事を作成しました。

 

これまでのキャリアや勤務先などを踏まえてプロフィールを教えてください

1987年、大阪府生まれ。2011年に慶應義塾大学を卒業後、株式会社大阪ガスに入社。その後、一緒にTABIPPOを立ち上げたしみなおに誘われて、2012年に株式会社オプトに転職。ソーシャルメディアの新規事業を立ち上げました。2014年に株式会社TABIPPOを創業し、編集長に就任。

 

フリーランスではなく、就職を選んだ理由は何故ですか?

フリーランスではなく、就職を選んだ理由は何故ですか?

収入や自由度のことを最優先するとフリーランスの方が良いかもしれませんが、人並みに寂しがりなのでチームがあった方がしっかり働けるタイプだと感じているので、就職自体は正解でした。

ただ、就職活動をしていた時にそこまで考えていたかというと、フリーランスという働き方を知らなかっただけとも言えます。とはいえ、当時の僕に新卒フリーランスを選ぶ準備や技術があったかというと不足していたので、いずれにしても就職になった気がします。

リーマントラベラーの東松くんと時々話しますが、会社員の副業は徐々に解禁されているので、フリーランスに憧れがある人は会社員を主軸に週末フリーランスを試すのも良さそうです。

 

前職に入社した動機や入社してよかったこと、退職を決意した理由を教えてください

オプトに入社した最大の動機は大好きなインターネットを仕事にできる!ということでした。入社してからも、これまで好きでやっていたことでクライアントに喜ばれるのは嬉しかったです。TABIPPOを起業してからも引き続きWebメディアの編集長というインターネット最前線で、広告代理店ではできないこともたくさんできています。

退職を決意したのは、インターネットと同じくらい好きだった、旅を仕事にするということと、これまで一緒にTABIPPOを進めてきたメンバーとの共同操業だったので、好きな人と仕事ができるというのが大きかったです。

 

退職の決め手となった原因は就職前に確認できたり、未然に防げるものでしたか?

退職の決め手となった原因は就職前に確認できたり、未然に防げるものでしたか?

退職の決め手は、これまで趣味として活動していたTABIPPOの株式会社化でしたが、就職前にはあまり想像していませんでした。とはいえ、当時のオプトの平均勤続年数が2.5年くらい(今はもう少し長いらしい)でしたし、社内には若手が多くて、転職が当たり前の風潮はあったので、TABIPPOではなくても転職はしていたように思います。

オプトの社長だった鉢嶺さんも創業者社長でしたし、事業部の部長も自分で会社を立ち上げた人、部のメンバーも元フリーランスが多かったので、偶然にも起業や独立がしやすい環境でした。僕以外にも、他に3人が退職後に起業をしています。

 

入社した企業の他に候補の企業はありましたか?その企業に入社していたらどうなっていたと思いますか?

今も変わりませんが、就職活動の時から海外で働くことに憧れていたので、大阪ガスの他に、外資系のコンサルティングファームやプラント企業、建設系の企業が候補でした。

もし、他の企業に入って、2-3年で海外勤務となれば気を良くして今も働いていたかもしれません。大阪ガスは留学先のニューヨークでの勤務があったものの、9-10年目の社員が派遣されることになっていたので、そんなに待てない!と感じたのは事実です。

あとは、仮の話ですが結婚して子供がいたら、27歳でTABIPPOを創業するという選択肢を取れたかはちょっと分からないです。挑戦する人生を送りたいと当時から思ってはいますが、結構ビビリなので。

 

退職した今だからこそ言える、就職して一番つらかったこと、失敗談は何ですか?その時は、どのように対応しましたか?

退職した今だからこそ言える、就職して一番つらかったこと、失敗談は何ですか?その時は、どのように対応しましたか?

1社目の大阪ガスではなく、2社目のオプトでの話です。Web系広告代理店あるあるなのですが、入社して3ヶ月くらいで2億円の案件を任された時はとても大変でした。新しい領域で、自分以外に専門家もいなかったので相談相手も見つけられずに何とか完成させましたが、正直ズタズタでした。

Web系企業の多くは市場が大きくなるスピードが早く、人の出入りも多いので、入ってきたばかりの若造でもガンガン仕事を任されます。就職活動においては、若手にも権限がある、という表現でポジティブに扱われる話ですが、実体験してみるとプレッシャーすごかったです。

短期的に解決することはできませんでしたが、半年後にあった同規模の案件は納得いく形でできたので、対応策は人よりも多くの経験を積むことでしょうか。

 

社内での人間関係は退職に影響はありましたか?また、人間関係において気をつけていることがあれば教えてください

人間関係は退職への影響は少なかったと思います。体育会系の先輩がいて、僕への当たりが強かったので上司はよく心配してくれました。ただ、僕だけではなく周囲に対して同じように強めだったので、当人はあまり気にしていなかったし、決定打ではなかったです。チームのメンバーも元々フリーランスでやっていた人たちが多く、適度な距離感で接してくれたので、今でも仲が良いです。

人間関係は、コミュニケーションが下手なので、かなり試行錯誤してます。とはいえ、人間関係の本って一長一短でしっくりくるものがなかったのですが、僕がバイブルとして崇めている本が見つかったので、悩んでる方はぜひご一読ください。

 

退職を経験した今だからこそ言える、就職活動で自分が本当に望んでいた会社に入れる人、入れない人の違いは何だと思いますか?

退職を経験した今だからこそ言える、就職活動で自分が本当に望んでいた会社に入れる人、入れない人の違いは何だと思いますか?

僕の場合は、就職活動の期間があまりに短かったことが、1社目の大阪ガスをすぐに退職してしまった原因かなと思っています。ニューヨーク留学中の就職活動だったので、ボストンキャリアフォーラムというボストンで開催される就職イベントに参加して、その場で内定が出てしまいました。

とりあえず内定が出たことに気を良くして、そこで就職活動をやめてしまったので、もう少し粘り強く就職活動を続けて、受かったり落ちたりを繰り返せば、もっと自分の今後についてしっかり考える時間を作れたはずです。

最近はインターンも盛んなので、可能であれば早いタイミングから何社かインターンを経験しておくと、会社で働くことのリアルが見えて楽しそう。

 

今回の記事は以上です。ちなみに、1年10ヶ月で辞めてしまってはいるものの、旅行好きの方にはWeb系の広告代理店への就職を強く薦めています。理由や代理店で働くメリット・デメリットなどは別記事にまとめましたので、気になる方はご覧ください。

» 旅人が就活するなら「Web系の広告代理店」を目指すべき

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