人生を冒険するように生きていきたい。そんな方は多いのではないでしょうか。かくいう僕も、ちょっと油断すると守りに入っている自分に気付きます。
そんな時は名言を読んで気持ちを引き締め直すことにしています。そこで本記事では国内外の冒険家・登山家・探検家の名言を紹介します。
- 1 勇気が必要なのは、打撃を受けた瞬間ではなく、正気と信念、安全に立ち戻るための長い上り坂においてである。
- 2 みんな、それぞれが、何か新しいことをやる、それはすべて冒険だと、僕は思うんです。
- 3 冒険とは、生きて帰ることなのである。
- 4 努力している人を笑うこと。 それは、何よりも最低な行為である
- 5 人の生きる本当の価値は、お金や肩書きなどではなく、夢を追い求め一瞬一瞬を精一杯生きることにあります
- 6 「(エベレストへ)次に行ったら本当に死ぬ」という恐怖に囚われながら、「じゃあ止めるのか? また何もなかった頃の自分に戻るのか?」と考えると、僕にはそっちのほうが怖かった。
- 7 どんなことでも、「これはダメだ」とあきらめるのではなく、「ではどうするか」と考えることに大きな意味がある。
- 8 立場によって意見が変わる。極端な例で言うと富士山に不法投棄する人にだって理由がある。それを考えないと落としどころは見つからない。
- 9 成功への近道なんていうものは「ない」と思いますね。まず冒険は「行ける環境」を作ることから難しい。
- 10 一歩を踏み出せるなら、もう一歩も踏み出せる
- 11 山を低くすることはできない。だから、自分を高めなければならない。
- 12 チャンスの女神は平等ではありません。しかし、(チャンスを)つかむか逃すかの選択は平等に訪れる。
- 13 夢を目標に変えて、チャレンジする。
- 14 人生において、多くのチャンスに恵まれる人もいれば、少ないチャンスしかない人もいるでしょう。でも大切なことは、多い少ないではない。いかにチャンスを逃さないかです。
- 15 道のありがたみを知っているものは、道のないところを歩いたものだけだ。
- 16 年齢を重ねて諦めることが増えたとしても、「自分」を諦めてはいけない。
- 17 自分の弱さを乗り越えようとしてホラを吹く。だが吹いた以上はやり遂げる。
- 18 一生の間に自分の秘めた力を使い果たす人など、ほとんどいない。使われたことのない力がまだたくさん眠っている。
- 19 終わりに到達するまで決してやめないと決心した。そうしたら、自分の目的に到達した。
- 20 給料は安く、寒気厳しく、長い暗黒の日々、危険たゆまなく、生還おぼつかなし。されど成功の暁には栄誉と報酬が得られるであろう
- 21 山はこれ以上大きくならないが、私たちはいくらでも成長できる
- 22 冒険家が大胆なだけだったら、それは死に直結してしまいます
- 23 私の夢は、死ぬ間際まで輝いた目をして生きていくこと。
- 24 逃げても壁はずっと追っかけてくる。しかもさらに高くなって。
- 25 世界一周というのは確かに大胆なチャレンジだけど、結局は1マイル1マイルの積み重ね。そう考えれば、地道さや慎重さは不可欠です。
- 26 人間はイメージできないものは絶対に実現できません。
- 27 まとめ
勇気が必要なのは、打撃を受けた瞬間ではなく、正気と信念、安全に立ち戻るための長い上り坂においてである。
チャールズ・リンドバーグ(アメリカの飛行家)
1927年に「スピリット・オブ・セントルイス」と名づけたプロペラ機でニューヨーク-パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に世界で初めて成功。1931年には北太平洋横断飛行にも成功した。有名な「翼よ、あれがパリの灯だ!」というセリフは実は後世の創作
みんな、それぞれが、何か新しいことをやる、それはすべて冒険だと、僕は思うんです。
植村直己(日本の登山家)
1970年に世界初五大陸最高峰登頂を達成、1978年には人類史上初となる北極点への単独行を達成。同年にはグリーンランド縦断にも成功するが、1984年にマッキンリーで消息を断つ
冒険とは、生きて帰ることなのである。
植村直己(日本の登山家)
努力している人を笑うこと。 それは、何よりも最低な行為である
植村直己(日本の登山家)
人の生きる本当の価値は、お金や肩書きなどではなく、夢を追い求め一瞬一瞬を精一杯生きることにあります
植村直己(日本の登山家)
「(エベレストへ)次に行ったら本当に死ぬ」という恐怖に囚われながら、「じゃあ止めるのか? また何もなかった頃の自分に戻るのか?」と考えると、僕にはそっちのほうが怖かった。
野口健(日本の登山家)
1998年に25歳でチョモランマの登頂に成功し、当時の七大陸最高峰登頂最年少記録を樹立した
どんなことでも、「これはダメだ」とあきらめるのではなく、「ではどうするか」と考えることに大きな意味がある。
野口健(日本の登山家)
立場によって意見が変わる。極端な例で言うと富士山に不法投棄する人にだって理由がある。それを考えないと落としどころは見つからない。
野口健(日本の登山家)
成功への近道なんていうものは「ない」と思いますね。まず冒険は「行ける環境」を作ることから難しい。
野口健(日本の登山家)
一歩を踏み出せるなら、もう一歩も踏み出せる
トッド・スキナー(アメリカのロッククライマー)
初登を遂げた山は26カ国300を超え、ビジネス界で引く手あまたの講演者としても活動。2006年にアメリカのヨセミテで転落死
山を低くすることはできない。だから、自分を高めなければならない。
トッド・スキナー(アメリカのロッククライマー)
チャンスの女神は平等ではありません。しかし、(チャンスを)つかむか逃すかの選択は平等に訪れる。
堀江謙一(日本の海洋冒険家)
1974年に世界で2人目の単独・無寄港世界一周航海を成功させ、2004年には東回りでの単独・無寄港世界一周航海を達成。日本人初の東西両方向周りで世界一周航海経験者となる
夢を目標に変えて、チャレンジする。
堀江謙一(日本の海洋冒険家)
人生において、多くのチャンスに恵まれる人もいれば、少ないチャンスしかない人もいるでしょう。でも大切なことは、多い少ないではない。いかにチャンスを逃さないかです。
堀江謙一(日本の海洋冒険家)
道のありがたみを知っているものは、道のないところを歩いたものだけだ。
大島亮吉(日本の登山家)
1922年に北アルプス槍ヶ岳の冬期初登頂に成功。1928年に前穂高岳北尾根で墜落死
年齢を重ねて諦めることが増えたとしても、「自分」を諦めてはいけない。
三浦雄一郎(日本のプロスキーヤー・登山家)
2013年に80歳でエベレスト登頂の歴史で最高齢登頂者となる3度目のエベレスト登頂に成功した
自分の弱さを乗り越えようとしてホラを吹く。だが吹いた以上はやり遂げる。
三浦雄一郎(日本のプロスキーヤー・登山家)
一生の間に自分の秘めた力を使い果たす人など、ほとんどいない。使われたことのない力がまだたくさん眠っている。
リチャード・イヴリン・バード(アメリカの探検家・海軍少将)
航空機による初の北極点到達、南極大陸のリトル・アメリカ基地から南極点までの往復と初の南極点上空飛行に成功した
終わりに到達するまで決してやめないと決心した。そうしたら、自分の目的に到達した。
デイヴィッド・リヴィングストン(スコットランドの探検家)
ヨーロッパ人で初めて、「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸を横断した
給料は安く、寒気厳しく、長い暗黒の日々、危険たゆまなく、生還おぼつかなし。されど成功の暁には栄誉と報酬が得られるであろう
アーネスト・シャクルトン(アイルランドの探検家)
イギリスの南極探検隊を率いた探検家。1909年に南極点から180km離れた地点に到達し、最南端到達記録を更新した
山はこれ以上大きくならないが、私たちはいくらでも成長できる
エドモンド・ヒラリー(ニュージーランドの登山家)
1953年にテンジン・ノルゲイと人類初となるエベレスト山頂到達に成功、エリザベス女王よりナイトの勲位を授与された
冒険家が大胆なだけだったら、それは死に直結してしまいます
大場満郎(日本の冒険家 / 1953-)
北極&南極大陸の単独徒歩横断に成功し、グリーンランド西海岸1400km単独徒歩行、カナダ北極圏2000km単独歩行などの記録を持つ極地冒険家
私の夢は、死ぬ間際まで輝いた目をして生きていくこと。
大場満郎(日本の冒険家 / 1953-)
逃げても壁はずっと追っかけてくる。しかもさらに高くなって。
白石 康次郎(日本の海洋冒険家 / 1967)
1993年-94年に史上最年少(当時26歳)で単独無寄港世界一周を達成。2020年に2016年以来となる単独無寄港無補給世界一周ヨットレースの第9回「ヴァンデ・グローヴ」への出場・初完走を目指している。
世界一周というのは確かに大胆なチャレンジだけど、結局は1マイル1マイルの積み重ね。そう考えれば、地道さや慎重さは不可欠です。
白石 康次郎(日本の海洋冒険家 / 1967)
人間はイメージできないものは絶対に実現できません。
白石 康次郎(日本の海洋冒険家 / 1967)
まとめ
今回の記事は以上です。夢や目標への挑戦を前に、自分の気持ちを鼓舞する名言を探しているなら、サッカー選手のゴン中山の名言がとてもオススメです。とにかく前向きで、熱い。
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